ゲーム作成企画アンケート 難しいことは考えず適当に、奮ってご参加ください!^^
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新聞に載ってくれたのを機にもっと流行ればいいのになあ・・・
紅茶は材料、おいしくたのしく、とアレンジティーを勧めているのが嬉しかった。
なんかそういう考え方が広まって、紅茶=めんどくさくて高尚で暇人か気取り屋が飲むもの、ってイメージを払拭してくれればいいなあ、と心底思います。
ただ「英国流」という単語が散見される記事で「ジャンピング」が強調されていることに若干の違和感を感じた。まあ単純に言葉のあやだと思うんですけれど。いやあニワカが批評なんかしても痛々しいだけなのは重々承知です、が^^
紅茶好きになればなるほど「ジャンピング」に拘る傾向があるようですが、実際それが英国流かというと全然そんなことはないと思うんですね。今まで紅茶の淹れ方を巡ってそこそこの量の――お陰様でわたしのなかに「flavour」という綴りが完全に定着してしまうくらいのUKサイトさんを覗いたんですけれど。
水の中の酸素量、茶葉が広がるだけの空間と時間が大事ということは色々なサイトで強調されていますが、「jumping」という単語、及びそう読み替えられる語句は全く出てきません。少なくとも私が巡った十数件のサイトの中には。
まあ要は恐らく和製英語のようなものだろうということです、その効果の是非は別として。
・・・個人的には、「ジャンピング」はあくまでおいしくなる条件を整えた時に"結果"として起こりやすい現象であって、
別に紅茶の風味を引き出すのに必須の"課程"というわけでは全くないんじゃないかなあ、と思います。・・・あくまで個人の一意見ですが!
だから「ジャンピングはバッチリ、今日もロイヤルミルクティーで私の午後は英国流☆」みたいな記述を見る度、貴方の脳内で「英国」ってのは地球上のどこらへんに存在する国を指してるんですかと小一時間問い詰めたくなるわけです。それは完全に極東の島国の流儀。
いやあ煮出し式のミルクティーも好きですよ、すごく美味しいと思います。そういう飲み方が好きだということ自体は別に全然いいことだと思います。
でもそれで「英国流」を気取ることで「本場の淹れ方にこだわっちゃう私ってノーブル(笑)」みたいな勘違いをされていらっしゃる方がこんなにも多いと、なんかもう・・・
はいはいどうせ今現在日本国内での紅茶は高二病とスイーツ(笑)の飲み物ですよ。非リアが嗜好していてすいませんね^^
みんなもっと紅茶飲もうぜ!
最近段々夏日が増えてきましたが、そんなときに飲むアイスレモンティーはすごくうまいよ! これも決して本場流ではないけれども^^
紅茶は材料、おいしくたのしく、とアレンジティーを勧めているのが嬉しかった。
なんかそういう考え方が広まって、紅茶=めんどくさくて高尚で暇人か気取り屋が飲むもの、ってイメージを払拭してくれればいいなあ、と心底思います。
ただ「英国流」という単語が散見される記事で「ジャンピング」が強調されていることに若干の違和感を感じた。まあ単純に言葉のあやだと思うんですけれど。いやあニワカが批評なんかしても痛々しいだけなのは重々承知です、が^^
紅茶好きになればなるほど「ジャンピング」に拘る傾向があるようですが、実際それが英国流かというと全然そんなことはないと思うんですね。今まで紅茶の淹れ方を巡ってそこそこの量の――お陰様でわたしのなかに「flavour」という綴りが完全に定着してしまうくらいのUKサイトさんを覗いたんですけれど。
水の中の酸素量、茶葉が広がるだけの空間と時間が大事ということは色々なサイトで強調されていますが、「jumping」という単語、及びそう読み替えられる語句は全く出てきません。少なくとも私が巡った十数件のサイトの中には。
まあ要は恐らく和製英語のようなものだろうということです、その効果の是非は別として。
・・・個人的には、「ジャンピング」はあくまでおいしくなる条件を整えた時に"結果"として起こりやすい現象であって、
別に紅茶の風味を引き出すのに必須の"課程"というわけでは全くないんじゃないかなあ、と思います。・・・あくまで個人の一意見ですが!
だから「ジャンピングはバッチリ、今日もロイヤルミルクティーで私の午後は英国流☆」みたいな記述を見る度、貴方の脳内で「英国」ってのは地球上のどこらへんに存在する国を指してるんですかと小一時間問い詰めたくなるわけです。それは完全に極東の島国の流儀。
いやあ煮出し式のミルクティーも好きですよ、すごく美味しいと思います。そういう飲み方が好きだということ自体は別に全然いいことだと思います。
でもそれで「英国流」を気取ることで「本場の淹れ方にこだわっちゃう私ってノーブル(笑)」みたいな勘違いをされていらっしゃる方がこんなにも多いと、なんかもう・・・
はいはいどうせ今現在日本国内での紅茶は高二病とスイーツ(笑)の飲み物ですよ。非リアが嗜好していてすいませんね^^
みんなもっと紅茶飲もうぜ!
最近段々夏日が増えてきましたが、そんなときに飲むアイスレモンティーはすごくうまいよ! これも決して本場流ではないけれども^^
身体が弱ってる深夜にピアノ弾くと駄目ですね、精神が同期して弱る弱る。
リピートのある曲だったので延々同じ曲ループしながら考え事をしていました。演奏に微塵も集中してないっていうね^^
今更ながら「友達は使い捨て」がじわじわと心にきたというか、なんというか。
いやあ別に自分が使い捨ての存在かもしれない、と辛くなったわけではありません。全くありません。というかそれは別に全然構わないです、正直言って。
...うん、この「全然構わない」っていう態度がそもそも駄目なのかなあ、と。
ふとしたきっかけで旧友の痕跡に触れて改めて実感したんです。ああわたしはもしかして、みんな使い捨てているのかもしれない、と。
忘れてるんですよね。すっかり。
あれだけ毎日親しく接していたのに、別れをあんなに惜しんだのに、いざ別れてみると全く寂しさを感じない。
また新しい生活が始まって、新しい人間関係を築き始めて。
そうするともう、ついこの間まで仲が良かった筈の子でさえ「もう会う機会はないだろう」と思った途端にどうでもよくなってしまう。
うん、直接会えなくてもネットでもメールでもなんでも、消息を確認できる人のことはちゃんと頭に残ってます。
今こうしてるんだなあ、とか、あれ? こいつちょっと変わった? とか、相手が自分と同じ時間軸で平行して生きているのがよくわかるから。
でももう完全に連絡が途絶えてしまうと――わたしはあまり自分から連絡をする方ではないので"アドレスを知っているだけ"はこちらに含まれる――もう、その相手への認識は一緒に居た頃で止まってしまう。記憶の中に居るだけの存在というか。あの頃あんな子居たねえ、で終わってしまうというか。
でもまあ、駅前や地元なんかでふらっと会ったりすればそれはまあまるでそんな空白の期間なんか無かったかのように、昔通り自然に話せるんですよね、そういう相手でも。
「長く会わなかった気がしないね、まるで昨日も会ったみたいだよね」と言って、相手からも「本当にそうだね、不思議」みたいに返される。そんな遣り取りを何度も経験した気がします。
その実感は本物なんですけど、いや、だからこそ、我ながら白々しいと思います。
尤も相手にとっても自分はそんな存在だろうと思うので――だってそうでしょう、思い出すようなきっかけもそんなにないんだから――、お互い様というか、友人関係って実際それが当たり前なのかなあ、とも思うんですけれど。
別に「本物の親友」だとか「一生の友達」だとかの定義に踏み込むような議論には毛ほども興味ないので、まあそれでいいか、って感じなんですけどね。
じゃあ何が気にかかるかって、相手に対して失礼とかその辺の云々ではなく、自分の感覚なんですよね。
怖かった筈なんです。
もう中学高校くらいになると、分かってたから。そんな風に薄情に友人をすっかり忘れてしまえるということを。小学校の時転校しましたからね、それでもう実感してたんだと思います、予想以上に自分の中には昔の友達の痕跡が全く残っていないってことを。
だからこそ、怖かったんですよ。今こんなに話をしていて楽しいのに、こんなに素敵な人の隣に居られているのに、卒業したらこんな幸せすら自分はあっさり忘れてしまうのか、と。
決して仲が悪くなる訳ではなくとも、相手がどんなに魅力的であったか、共有した時間がどんなに素晴らしいものだったのかを忘れてしまうということは、即ち友達を失うのと同義だと思うのです。
現在かけがえがなく感じている友達が、いつの間にか自分の中で「無価値」になる。それがどうしようもなく怖かった...筈なんですけど、ね。
幸い中高の友人さんたちの多くは未だに連絡を取ったり消息を確認したりできるので、自分の中で「友達」という自覚を保ち続けていられます。
ただ、あんなに怖れていた筈なのに、結局もう自分の中で「友達だった」――今は他人みたいなもん、となってしまった人が多く居るのも事実です。そしてそのことに対してやっぱり、何の感慨も湧かないんです。
...そして今も。
こんなにも一緒に話をしているのが楽しい人が、魅力的で刺激的な人がそばに居るのに。いつかはその人のこともどうでもいいと思うようになってしまうのかなあ、というのが、酷く怖ろしい。
今現在からすればそんなこと有り得ない、考えられないことなんですが余りにも前科がありすぎますから。これで今度こそは自分を信じろなんて、無茶で非現実的な話です。
痛いのが怖いとか、辛いのが怖いとか、そういうのとはまた完全に異質な恐怖なんですよね。
なんたって、過ぎ去ってしまった後には何の感慨も残らないんですから。
「無」への底無しの恐怖、ってやつでしょうか。
...なんて延々考えてたってこれ随分ガチで弱ってますねwww大人しく寝てさっさと風邪治します! はい!
とりあえず今楽しいならその今を謳歌します、先のことはきっとなんとかなる、そんなに大切に思ってるなら会えなくなってもちゃんとこまめに連絡取れって話ですね!
......おやすみなさいっ
リピートのある曲だったので延々同じ曲ループしながら考え事をしていました。演奏に微塵も集中してないっていうね^^
今更ながら「友達は使い捨て」がじわじわと心にきたというか、なんというか。
いやあ別に自分が使い捨ての存在かもしれない、と辛くなったわけではありません。全くありません。というかそれは別に全然構わないです、正直言って。
...うん、この「全然構わない」っていう態度がそもそも駄目なのかなあ、と。
ふとしたきっかけで旧友の痕跡に触れて改めて実感したんです。ああわたしはもしかして、みんな使い捨てているのかもしれない、と。
忘れてるんですよね。すっかり。
あれだけ毎日親しく接していたのに、別れをあんなに惜しんだのに、いざ別れてみると全く寂しさを感じない。
また新しい生活が始まって、新しい人間関係を築き始めて。
そうするともう、ついこの間まで仲が良かった筈の子でさえ「もう会う機会はないだろう」と思った途端にどうでもよくなってしまう。
うん、直接会えなくてもネットでもメールでもなんでも、消息を確認できる人のことはちゃんと頭に残ってます。
今こうしてるんだなあ、とか、あれ? こいつちょっと変わった? とか、相手が自分と同じ時間軸で平行して生きているのがよくわかるから。
でももう完全に連絡が途絶えてしまうと――わたしはあまり自分から連絡をする方ではないので"アドレスを知っているだけ"はこちらに含まれる――もう、その相手への認識は一緒に居た頃で止まってしまう。記憶の中に居るだけの存在というか。あの頃あんな子居たねえ、で終わってしまうというか。
でもまあ、駅前や地元なんかでふらっと会ったりすればそれはまあまるでそんな空白の期間なんか無かったかのように、昔通り自然に話せるんですよね、そういう相手でも。
「長く会わなかった気がしないね、まるで昨日も会ったみたいだよね」と言って、相手からも「本当にそうだね、不思議」みたいに返される。そんな遣り取りを何度も経験した気がします。
その実感は本物なんですけど、いや、だからこそ、我ながら白々しいと思います。
尤も相手にとっても自分はそんな存在だろうと思うので――だってそうでしょう、思い出すようなきっかけもそんなにないんだから――、お互い様というか、友人関係って実際それが当たり前なのかなあ、とも思うんですけれど。
別に「本物の親友」だとか「一生の友達」だとかの定義に踏み込むような議論には毛ほども興味ないので、まあそれでいいか、って感じなんですけどね。
じゃあ何が気にかかるかって、相手に対して失礼とかその辺の云々ではなく、自分の感覚なんですよね。
怖かった筈なんです。
もう中学高校くらいになると、分かってたから。そんな風に薄情に友人をすっかり忘れてしまえるということを。小学校の時転校しましたからね、それでもう実感してたんだと思います、予想以上に自分の中には昔の友達の痕跡が全く残っていないってことを。
だからこそ、怖かったんですよ。今こんなに話をしていて楽しいのに、こんなに素敵な人の隣に居られているのに、卒業したらこんな幸せすら自分はあっさり忘れてしまうのか、と。
決して仲が悪くなる訳ではなくとも、相手がどんなに魅力的であったか、共有した時間がどんなに素晴らしいものだったのかを忘れてしまうということは、即ち友達を失うのと同義だと思うのです。
現在かけがえがなく感じている友達が、いつの間にか自分の中で「無価値」になる。それがどうしようもなく怖かった...筈なんですけど、ね。
幸い中高の友人さんたちの多くは未だに連絡を取ったり消息を確認したりできるので、自分の中で「友達」という自覚を保ち続けていられます。
ただ、あんなに怖れていた筈なのに、結局もう自分の中で「友達だった」――今は他人みたいなもん、となってしまった人が多く居るのも事実です。そしてそのことに対してやっぱり、何の感慨も湧かないんです。
...そして今も。
こんなにも一緒に話をしているのが楽しい人が、魅力的で刺激的な人がそばに居るのに。いつかはその人のこともどうでもいいと思うようになってしまうのかなあ、というのが、酷く怖ろしい。
今現在からすればそんなこと有り得ない、考えられないことなんですが余りにも前科がありすぎますから。これで今度こそは自分を信じろなんて、無茶で非現実的な話です。
痛いのが怖いとか、辛いのが怖いとか、そういうのとはまた完全に異質な恐怖なんですよね。
なんたって、過ぎ去ってしまった後には何の感慨も残らないんですから。
「無」への底無しの恐怖、ってやつでしょうか。
...なんて延々考えてたってこれ随分ガチで弱ってますねwww大人しく寝てさっさと風邪治します! はい!
とりあえず今楽しいならその今を謳歌します、先のことはきっとなんとかなる、そんなに大切に思ってるなら会えなくなってもちゃんとこまめに連絡取れって話ですね!
......おやすみなさいっ
広大なグラウンドを含む学校の敷地内みたいなところで、数色対抗かくれんぼ兼鬼ごっこみたいなのをやってた。
ほのぼのにみえてガチ。相手が部屋内に立てこもったとみれば部屋の壁も鍵も壊し放題、捕まったら具体的にどうなるのかはわからなかったんですがなんかすごくやばそうだったので本気で逃げ隠れ。
で、辺り一面敵だらけなんですがなぜかわたしだけチート発動可能。赤いリボンのついた傘をとん、と地に突けば透明人間になれる魔法が使えます。なにこの安っぽい設定^^
でも自分では効いてるのか効いてないのかわからなくて、透明だと思い込んで敵の目の前に出たら実はしっかり見えてて超追っかけ回されたりしました。
途中で、効果が出ている時は自分の影が消えると気づく。
そのチートを存分に使いながら友達と逃げ回ってたんですがその友達が誰だったのかわからない。夢の中の架空の人物ですかね。
しかし途中で隠れた建物内に傘を忘れ、取りに戻った時に見つかったのでとりあえずトイレに立てこもって透明になってみた。鍵は閉めたんですが結構容易にドアが開けられる。なぜか目の前にいるのは警察、中に誰もいないのを不思議がる。その隙に逃げた。
そのへんから段々脳が覚醒してきて、これは流石に夢じゃね? と思い始める。
後ろから敵の大群に追われたが、夢なんだからもっと速く走れるはず、と思ったらなんかいつの間にかぶっちぎりで突き放してた。ああ現実でもこれくらい速く走れればいいのにねー、おれは風! とか思うだけの余裕が出てきた矢先、目の前からまた別の敵集団。後ろからはさっきの集団。やべ、これ逃げ場ねーよ、ってとこで目が覚める。
...なんだこれは^^
起きてから考えると夢の中の自分の思考回路って奇怪ですよね。
例えばこの夢なら、透明人間チートが使えるならそれを使うことに集中してどこかに止まってりゃよかったのに、わざわざ色んな場所や建物を移動しまくって挙げ句傘を忘れてる。馬鹿である。
あと他のチームはほぼ固まって行動してたのに自分らは完全単独行動、それで自分らももしかしたらどこかに固まってるんじゃないか、そこに居た方が安全じゃないかとなぜ思い至らないのか、とかね。
あとよく思い出してみると、敵チームの人間に見つかった時「ああ、あなたはわたしと同じチームだよ、だから襲わなくていいの」と騙し、そばを通りかかった他の敵チームの奴に「おいそいつは敵だ!」って突っ込まれた瞬間、突っ込んだ奴にそいつの意識と視線が向いている間に後ろから携帯で殴りかかって崖から突き落としたりした気がする。倫理的にアウトにも程がある。
まあこれは非現実的にも程がある夢ですが、リアルな夢もたまに見るんですよ。その中で自分はしばしば友人を傷つけて笑ってたり他人の心を弄んだり、裏切ったり欺いたり証拠隠滅のために殺したりするわけです。
起きた直後、まだ夢を引き摺っている時には「自分ってあんな最低な人間だったのか、ああいう状況に立ったら現実でもあんなことをしてしまうのかもしれない」と恐怖しますけど、ちゃんと起きてからよくよく考えてみると所詮は夢なんですよね。
ありえない。発想が突飛過ぎる、現実の自分がそんな考え方をする筈がない。
ド●えもん見てて「なぜそこで通り抜けフープを使わない!!」って思うのと同じ次元で、夢の中の自分って馬鹿馬鹿しいなあとか思ってます。
以上、いつの間にか夢に関する自分の考え方みたいになってた。誰得ww
夢は夢と割り切っていいんでないの? ということで。
ほのぼのにみえてガチ。相手が部屋内に立てこもったとみれば部屋の壁も鍵も壊し放題、捕まったら具体的にどうなるのかはわからなかったんですがなんかすごくやばそうだったので本気で逃げ隠れ。
で、辺り一面敵だらけなんですがなぜかわたしだけチート発動可能。赤いリボンのついた傘をとん、と地に突けば透明人間になれる魔法が使えます。なにこの安っぽい設定^^
でも自分では効いてるのか効いてないのかわからなくて、透明だと思い込んで敵の目の前に出たら実はしっかり見えてて超追っかけ回されたりしました。
途中で、効果が出ている時は自分の影が消えると気づく。
そのチートを存分に使いながら友達と逃げ回ってたんですがその友達が誰だったのかわからない。夢の中の架空の人物ですかね。
しかし途中で隠れた建物内に傘を忘れ、取りに戻った時に見つかったのでとりあえずトイレに立てこもって透明になってみた。鍵は閉めたんですが結構容易にドアが開けられる。なぜか目の前にいるのは警察、中に誰もいないのを不思議がる。その隙に逃げた。
そのへんから段々脳が覚醒してきて、これは流石に夢じゃね? と思い始める。
後ろから敵の大群に追われたが、夢なんだからもっと速く走れるはず、と思ったらなんかいつの間にかぶっちぎりで突き放してた。ああ現実でもこれくらい速く走れればいいのにねー、おれは風! とか思うだけの余裕が出てきた矢先、目の前からまた別の敵集団。後ろからはさっきの集団。やべ、これ逃げ場ねーよ、ってとこで目が覚める。
...なんだこれは^^
起きてから考えると夢の中の自分の思考回路って奇怪ですよね。
例えばこの夢なら、透明人間チートが使えるならそれを使うことに集中してどこかに止まってりゃよかったのに、わざわざ色んな場所や建物を移動しまくって挙げ句傘を忘れてる。馬鹿である。
あと他のチームはほぼ固まって行動してたのに自分らは完全単独行動、それで自分らももしかしたらどこかに固まってるんじゃないか、そこに居た方が安全じゃないかとなぜ思い至らないのか、とかね。
あとよく思い出してみると、敵チームの人間に見つかった時「ああ、あなたはわたしと同じチームだよ、だから襲わなくていいの」と騙し、そばを通りかかった他の敵チームの奴に「おいそいつは敵だ!」って突っ込まれた瞬間、突っ込んだ奴にそいつの意識と視線が向いている間に後ろから携帯で殴りかかって崖から突き落としたりした気がする。倫理的にアウトにも程がある。
まあこれは非現実的にも程がある夢ですが、リアルな夢もたまに見るんですよ。その中で自分はしばしば友人を傷つけて笑ってたり他人の心を弄んだり、裏切ったり欺いたり証拠隠滅のために殺したりするわけです。
起きた直後、まだ夢を引き摺っている時には「自分ってあんな最低な人間だったのか、ああいう状況に立ったら現実でもあんなことをしてしまうのかもしれない」と恐怖しますけど、ちゃんと起きてからよくよく考えてみると所詮は夢なんですよね。
ありえない。発想が突飛過ぎる、現実の自分がそんな考え方をする筈がない。
ド●えもん見てて「なぜそこで通り抜けフープを使わない!!」って思うのと同じ次元で、夢の中の自分って馬鹿馬鹿しいなあとか思ってます。
以上、いつの間にか夢に関する自分の考え方みたいになってた。誰得ww
夢は夢と割り切っていいんでないの? ということで。